400分の40 Part171
先日8619Fが廃車回送されました。これにより残りはあと4本となりました。最初は400両もいたのに、いまは10分の1の僅か40両です。あの爆音が沿線から完全に消えるとなると少し寂しい気もします。
残る編成は、22F・30F・31F・37Fです。
その残存編成を紹介したいと思います。
まず8500系の紹介
1969年に東横線に投入された8000系を半蔵門線への乗り入れにあたり新たな車両規格に則って新玉川線投入用に作られ、1975年にデビューしました。しかし当時は新玉川線が未開業だったので田園都市線(現在の大井町線と田園都市線二子玉川より先の区間)や東横線に投入されました。今は田園都市線に集約されています。1976年には東急車として初のローレル賞を受賞しています。2002年から廃車が行われていて一部編成は長野やジャカルタなどで現在も活躍中です。
8622F
1976年に今の1・2・10号車が新造され8000系の中間車3両を加え、6両編成でデビューしました。
この編成は最初から新玉川線に配置されています。
地味に7両の停止位置あって草
8630F
1979年新造。当編成も最初は6連で登場。新製投入先は東横線だった。
8631F
近年の8500系の中で一番稼働率が高いであろう当編成。愛車にしている方も多い気がします。
昭和59年前後に新製、最初から10連で登場。つきみ野〜中央林間開通用に32、33Fらと一緒に投入された。
久しぶりに今度この構図やってみようかな
8637F
昭和61年に新造。当編成は9101Fよりも新しいので、それに準じた変更点が何箇所かある。Bunkamuraラッピングの青帯で知られているが、赤帯だってのはデビューしてからの半年ほどだったそう。過去には東急ケーブルテレビやしゃぼん玉ラッピングもあった。Bunkamuraになったのは自分が覚えている限りかなり最近ですね。
赤帯に戻るんですかね()
余談ですが
懐かしいですね()
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